の酔狂なコダワリに迫る! 今回は、歴史的マッスルカー「シェルビーコブラ」を所有する日本唯一の女性、「蛇女」さ…



こちらは見事に修復された後の姿で、たぶん出来たばかりより綺麗に仕上がっているだろう。この車は走行可能で、在りし日の本田宗一郎氏が満面の笑みを浮かべながら鈴鹿サーキットをドライブしていた姿が目に浮かぶ。


[デザイン速報] シェルビーコブラ がなんと復活! しかもEVじゃなくて5.0L V8とかACカーズ本気出しすぎでしょ..


この車は若き日の本田宗一郎氏がアート商会に奉公していた時に、御主人を手伝って造ったレーサーだという事はよく知られており、現物を見たことのある方も多いだろう。しかし一般に知られる様になったのは、ホンダ・インターナショナル・スクールの生徒さんの手で綺麗に修復された1979年より後のことだが、この写真が撮られたのはそれより13年も前の修復前のことだ。前輪がレーサーに似つかわしくないホワイトウオールを履いているのは、2つだけ物が無い時代に荷車用に売ってしまったらしい。

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(10)<カーチス>(日)我が国の車好きの間では「カーチス号」として知られるこの車は、本田宗一郎少年が奉公していた本郷のアート商会という修理工場の主人榊原郁三氏が組み上げたスペシャル・レーサーで、1923-4年(大12-3)にかけ、シャシーや足回りには古いアメリカ車ミチェルやビュイックが利用され、ホイールやボディは自作した。初期のボディは軽量化のため後ろ半分は木骨羽布張りで、テールが長く突き出していたが、その後スチールの現在の形に変わり、ラジエターもオークランドからシトロエンに変わっている。エンジンは車名のもとになったアメリカの複葉機「カーチス・ジェニー」に使用されていたV8 8.3リッター90hpで、初代エンジンはダイムラーをコピーした100hpが積まれたが重いうえ背が高いのでコーナーに弱く、もっと小型で軽量なものとして探し当てたのが千葉・津田沼の民間教習所にあったこのエンジンだ。(宗一郎氏はここで飛行機の操縦を習っていたらしい)

【アメ車 シェルビーコブラ】キャロル・シェルビーが認めた唯一の公認コブラレプリカ!


・外観がジャガーのD-Typeに似ているカニンガム「C6R」は、1954年回転が上がらないOHVエンジンに見切りをつけ、より軽く、より強力なDOHCのフェラーリ4.5リッターエンジンが選ばれた。1954年のルマンには「C6R」1台、「C4R」2台が出走し、「C4R」が3位と5位に入賞したが、「C6R」はリタイアした。
・ルマン挑戦最後の年となった1955年は、シャシーは「C5R」のまま、エンジンをインディ500用4気筒、DOHC 3リッター「メイヤー・ドレイク」に変えて1台参加したが、フィニッシュ出来ずルマンへの挑戦は終わった。写真の車は1955年とあるので後期の車だ。
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「C5R」に発展したカニンガムは「ソリッド・カニンガム」の別名を持つ。それはルマンのコースのように平坦でタイトコーナーが無いサーキットではロードホールディングが最重要ではないと判断し、大型ブレーキ・ドラムを最優先するためフロントをトーションバーで吊るリッジド・アクスルにした為で、これがアメリカ式では「ソリッド・アクスル」と呼ばれる。1953年のルマンには「C5R」ロードスターとクーペが各1台、「C4R」1台出走し「CR4」が3位入賞、「CR5」は7位、10位と全車完走と大健闘した。因みに「ミュルサンヌ」のストレートでの「C5R」の速さは249km/hで、アルファロメオ3.5、ジャガーCタイプ、フェラーリ4.1など他の参加車より断然早かった。

ACコブラとシェルビーコブラはどう違うのですか?とのお尋ねがよくあります ..


カニンガムのレーシングカで一番有名なのはこの「C4R」だろう。3年続けて入賞した実力もさることながら、正面から見た時のまん丸のグリルと、大きく切れ上がったフェンダーが強い印象を与えるからだ。前年の残念な結果を踏まえて、全く新しく作り直された「C4R」は一回り小さくなり、重量も約450kg軽くなったが、エンジンは300hpまで強化され、戦闘力はさらに増した。1952年のルマンには2台のロードスターと、1台のクーペが出走したが2台はリタイヤし、カニンガム自身がドライブするロードスターが4位に入賞した。

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(9)<カニンガム>(米)(1951-55)「カニンガム」はカリフィルニアの大富豪ブリッグス・カニンガム(1907-03) が私財を投じて製造した、戦後のアメリカで最初に登場した本格的なスポーツ/レーシングカーだ。1950年にはキャディラック61シリーズでルマンに挑戦、ボディをグラマン社が手掛けた改造車(余りにも奇異な外観からル・モンストルと呼ばれた)は自からドライブして11位、もう1台の殆どストックのままのキャディラックは10位となっている。もう一つの大きな功績はカリフォルニア州コスタ・メサに「ブリックス・カニンガム・オートモティブ・ミュージアム」を作り、個人コレクションを公開したことだろう。1966年から20年目の86年には閉鎖されてしまったが、ここには「カニンガム」をはじめ、ブガッティのロワイアルやT55、イスパノスイザ・キングアルフォンゾ、ドラージュV12 GPなど、後年世界のいろいろなイベントで僕が写真に収めることの出来た夢のような名車が展示されていた。まだ外国の情報が少なかったこの当時、C/G1966年10月号に掲載された写真入りの現地レポートには夢の世界を見る思いで見入った記憶がある。 「カニンガム」と名のついた車は1951年から55年に造られた「C1」から「C6」の6種しかない。最初に造られた「C1」はあまり資料がなく殆ど知られていないが、カニンガム・ミュージアムに収納されていた時代の写真が残っており、それは初期のフェラーリに似たオープン2シーターのスポーツカーで1951年のルマンでプラクティスに出走している。

1901年 1907年 1922年 1953年 1955年 1959年


写真の車は極めて個性の強い、趣味性の高い一品もので、海にこだわるオーナーの好みから車体は「波を蹴立てるボート」をイメージして造られた。上から俯瞰すると客室の周りはボートのようなチーク材が貼ってあり、室内の換気も船についているような換気筒でおこなう。後ろに背負ったスペアタイヤの留め具はスクリュウを模している、といった凝りようだ。金具類はすべて真鍮の磨き出しで金色にひかり輝いて豪華だ。エンジンは6気筒 SV 9237cc/110hp 最高速度113 km/hは当時としてはかなり速い。前席にはドアがなく、後ろから乗って中央通路を通って運転席に着く。
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(8)<クレイン・シンプレックス>
この車が日本に紹介されたときは「クレイン・シンプレックス」だったが、1912年創立された「クレイン社」と、1907年からスポーティな車を作っていた「シンプレックス社」があり、1914年両社が合併して「クレイン・シンプレックス」となった。アメリカの自動車メーカーが網羅されている大事典によると、クレインの項では「クレイン・シンプレックス」だが、「シンプレックス」の項にも掲載されており、合併後のモデルもこちらに記載されている。しかし実質の経営権は「クレイン」側にあったようで、合併後の「モデル5」という大型モデルはヘンリー・M・/クレイン自身が設計したといわれる。
(写真16-1-e)1916 Crane-Simplex Model5 Touring by Holbrook 1971-03 ハーラーズ・コレクション/晴海)


また、ACコブラは、フォードのV8エンジンを搭載していますが、シェルビーコブラは、シェルビー・アメリカンの自社製エンジンを搭載しています。


1941年からは「コンチネンタル」の扱いがシリーズ名から「ゼファー」と同格の車名に格上げされた。外見上は波切り型のグリルの外縁にフレームが付き、フェンダー上にサイドランプがついた。エドセルは素晴らしい外見に仕上がったこの車に上級の「Kシリーズ」に使われているV12 6781ccを積んでハイパフォーマンス・カーを目指すことを主張したが実現せず、性能的にはゼファー並みの平凡な車のままだった。コンチネンタルはこの年クーペ850台、カブリオレ400台が造られた。

美しい景色の中で2台のコブラを見比べた!なんとボディラインは似て非なるものでした。単体では分からなかった違いがハッキリしました。


1938年ヨーロッパ旅行から帰ってきたエドセル・フォードは、自身のパーソナルカー構想を指示、翌1939年2月完成したのはリンカー・ゼファーのシャシーにエドセルのアイデアを具体化した素晴らしいプロポーションを持ったカブリオレだった。この車は周りで大評判となり同じ車を造ってほしいという注文が200件を超えた。そこで1940年からゼファーの生産ラインを使って市販車が生産された。最初の年は「ゼファー・コンチネンタル」と呼ばれ、まだ「コンチネンタル」として独立していない。この年クーペ54台、カブリオレ350台が造られた。写真のタウンカーはカタログモデルではなく、建築家フランク・ロイド・ライトがカブリオレをカスタマイズしたもの。

ACカーズ。1960年代に登場した「シェルビー・ACコブラ」が有名ですが、そのコブラ ..

(写真10-0)1936 Lincoln Zephyr V12 4de Sedan(2004-01 ブリジストン・ショールーム/国分寺)


「リンカーン」は1930年代「パッカード」「キャディラック」などと並び大型高級車の代表的存在だったが、不況の中各社が格下げ車種で売り上げを確保する中で1936年「リンカーン・ゼファー」を発表した。この車はリンカーンの販売ルートで売られたが、実質はリンカーンの普及版というよりは、フォードのデラックス版プラスαといった存在だった。4384cc V12気筒エンジンといってもフォードのV8をV12に増やした程度の平凡なもので、価格も大型「Kシリーズ」の4~5000ドルに対し1275~1320ドルと段違いに安く、日本では大型リンカーンの顧客に配慮して「リンカーン」とは区別して「リンコン・ゼファー」と呼んだ、と何かで読んだ記憶がある。「コンチネンタル」のベースとなったといわれるのが「リンカーン・ゼファー」だ。写真の車は戦前からブリジストンの石橋幹一郎氏が使用していたもので、レストアに際しては当時のタイヤが手に入らず、アメリカのファイアストーンでオリジナルタイヤのパターンを型から起こして造らせたと伺った。参考に発売当時の日本国内用カタログの一部を掲載した。

シェルビー コブラ 427 (Shelby COBRA 427)


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(7)<リンカーン・コンチネンタル>(米)
「コンチネンタル」という言葉は、島国イギリスから見たヨーロッパ大陸のことだが、自動車に関しては、広いヨーロッパ大陸を高速で走るという意味で、現代の「GTカー(グランド・ツーリングカー)」と同じように考えられる。もともとは1931年頃ロールスロイス・ファンタムⅡの圧縮比を高め、大径ジェットをもったキャブレターで軽くチューニングされた大陸旅行用の車に付けられた名前で、これが後年エドセル・フォードによってデザインされたリンカーン・ゼファーのスペシャル・ボディに付けられ、ついにはシリーズ名として正式に採用されることになる。

Superformance MK3 (ACコブラのリプロダクションカー)


(写真09-7a) 1956 Connaught C (2000-05 モナコ)

写真の場所はモナコ市内で、テレビのF1中継でよく映し出される最終コーナーのスタンドを出たすぐ後ろの道路だ。うしろの崖は堅い岩でできているが、実はモナコは全部が岩の上に乗っているらしく、岬の向うへ続くトンネルも堅い岩盤を素掘りしただけのものだったし、ホテルの窓から見える裏山も岩山だった。
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シェルビー コブラ ミニカー まとめ Miniaturecar Museum favorite


BタイプのF1バージョンが「4シリーズ」で、この車がイギリスで注目されるのは
トニー・ブルックスという歯科医を目指す若い新人ドライバーがマセラティを抑えて堂々優勝してしまったからだ。この年のグランプリ・タイトル戦に「コンノート」は第6戦「イギリスGP」に2台出走したが完走できなかった。最終第7戦が9月11日で終わり、そのあと10月23日シチリア島で開かれた「シラクーザGP」はノンタイトルではあったが、突然優勝が転がり込み、ここ数年啼かず飛ばずのイギリス・レーシング界にとっては、大相撲で日本人が優勝したような久々の大快挙だったに違いない。それを記念してこの車は「ザ・シラクーザ」と呼ばれる。

クルマ大国のアメリカで、特別視されているスポーツカーがある。1台はシボレー・コルベット、そしてもう1台がシェルビーACコブラだ。

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(6)
「コンノート」という名前は日本では殆ど知る人がない。もし知っているとすれば1950年代の「F1」に興味のある人か、ミニチュアカーのコレクターくらいだろう。第2次大戦後1940年代の英国は緊縮財政を敷いていたから物資が欠乏し、車を売りたくても売る車がないような状態だった。コンノートはF1活動を始める前の1948年、「リー・フランシス」をベースにしたスポーツカー「L2」を6台作っている。F1(F2)には1952年から59年まで活動し最高位は1956年イタリアGPの3位止まりだが、小規模コンストラクターとしてマセラティーなどの大メーカーと互角?に戦ったから、イギリスでは人気が高かった。(ノンタイトルではGPで1度だけ優勝している)

1966 SHELBY AC COBRA 427 (シェルビー・AC コブラ 427) ..


アメリカ車の通例として毎年モデルチェンジが行われ、この年からフルサイズ・モデルとは全く関係ない独自のグリル・デザインが与えられた。場所は虎の門の交差点近くにあったフォード系ディーラー「ニューエンパイア・モータース」の前で、リンカーン、マーキュリー、フォードの看板が見えるが、ここでは最新モデルが見られるので土曜日の午後仕事が終わってからよく足を運んだ場所だ。(僕が現役だったころは週休2日制になる前で、土曜日は半日仕事をしていた。)
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1/18コレクション③シェルビー・ACコブラ427(Re) | BEEs Collection


1960年誕生したてのマーキュリー版コンパクトカー「コメット」で、エンジンの6気筒 2364cc は、フルサイズのマーキュリー・モンテレー5110cc、モントクレア7043ccに較べれば、半分以下、1/3以下なのでアメリカとしてはずいぶん小さいと感じる排気量だ。ホイールベースの114インチは約3010ミリで、初代トヨペットクラウンの2530ミリに較べればかなり大きい。生まれたての「コメット」のグリルはフルサイズの凹型曲面モチーフから転用したものだ。場所は虎の門病院の前で、隣がアメリカ大使館なので最新のアメリカ車を見つけるには絶好の場所だった。

イギリスのACカーズとで つくられた伝説のマッスルカー シェルビー・コブラ ..

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(3)<コメット> (米・マーキュリー)1960~
1903年に創立されたフォード・モーター社のラインアップは1960年時点では上から「リンカーン」「マーキュリー」「フォード」となっていた。創立者のヘンリー・フォードは頑固に実用一点張りでT型を造り続けて来たが、1922年息子のエドセルの意見を入れて高級車「リンカーン」を買収し、高級車と大衆車の2本立てとなった。しかし1930年代になるとライバルのGMは「ビュイック」「オールズモビル」「ポンティアック」、クライスラーは「デソート」「ダッジ」、その他独立系でも「ナッシュ」、「ハドソン」、「スチュードベーカー」など、中級車クラスが市場を占める割合が大きくなった。出遅れたフォードには追いつくために適当な買収先が見つからなかったのか、1938年新しく創設されたのが「マーキュリー」で、戦後の1949 年専用のボディが提供されるまではフォードと同じスタイルに一回り大きいエンジンを積んだものだった。しかし1950年代に入ると大型高級化が進み、大衆車フォードの兄貴分だったマーキュリーはいつの間にか高級車リンカーンの弟分と化した。1960年前後になると大きくなりすぎたことへの反省から各社から1930年代に近いサイズに小型化された、いわゆる「コンパクトカー」が発売され、フォードは1959年から「ファルコン」が投入され、翌1960年からマーキュリー」には「コメット」が誕生した。

ACコブラはもともと、イギリスのACカーズへとキャロル・シェルビー ..


(写真06-1ab)1954 Colombo-Mariani 1100 (2000-05/ミッレミリア)
2000年のミッレミリアで撮影した「コロンボ」という車だが、残念ながら素性が全く判らない。1940年代フェラーリで後年「コロンボ・エンジン」と呼ばれる傑作を残した設計者「ジョアッキーノ・コロンボ」は、1953年にはマセラティで250Fのエンジンを製作中であり、1955年にはブガッティに移りT251を造っているので、こんな車を作っている暇は無さそうだ。ミッレミリアでは見たことも聞いたこともない謎の車によく出逢うが、中には器用な人が趣味で造ってしまった一品ものまであるから厄介だ。「1100」とあるのでご多分に漏れずベースは「フィアット1100」だろう。念のため1954年と1955年のミッレミリア出走リストで調べたが該当する車名は見当たらなかった。もしかしたら「フィアット1100改」で出ていたかも知れないが・・。
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